御在所の復旧はまだの様子

三重の増井ガイドより御在所の現状の写真が送られてきましたので掲載いたします。
このロッジは菰野山岳会が所有するもので立派な2階建てになっています。道路から15分くらいの位置にあります。川から少し奥まった位置に建てた為に難をのがれたようですね。
藤内小屋藤内小屋の方は復旧が進んでいない様子です。
増井ガイドによりますと、
「藤内小屋復旧は来年になるでしょう。
登山道も2/3は流失し、整備がやっと終了した所です。」とのことでした。日向小屋はどうなったんだろう、聞くのを忘れた。

「雪山の危険について」

凍傷、4年前の1月、北アルプス唐沢岳幕岩登攀に向った際クライアントの動きがいまひとつぎこちなかったので雪の上でツウェルトを被り、クライアントの靴を脱がせて見ると水泡の出来た足が現れてしまった。凍傷である。殆ど感じなかったようだ。幕岩へのアプローチの半分くらいしか来ていない場所だった。ツウェルトを被ったままコンロを出して足を暖め、その場から引き返した。凍傷の発症には個人差があるが、八ヶ岳などで早朝に出発し、一番寒い時間帯の2時間くらいを何事もなくやり過ごせば午後まで登山したとしても凍傷になった例はない。よって、早朝の2~3時間は常にクライアントの調子を注視している。それを過ぎると寒風が吹きすさんでもいない限り体が寒さに順化していくのではないかと考えている。前もって寒さに弱いと思われる場合は、靴下の下に「ホッカイロ」を貼るか血行促進剤を塗っておくのだが、クライアント本人がそうとは気がつかない場合が多いのでなかなか難しい。 

雪崩は、積雪期のバリエーションルートでは必ず起こっても不思議ではない。絶対に雪崩れないと思うより必ず雪崩れると思った方が正しいだろう。

15年ほど前の正月、八ヶ岳の裏同心ルンゼにクライアント1人アシスタントガイド1人とともに3人でアイスクライミングに出掛けた。朝のうち雨で、その後ちらちらと雪が舞うアイスクライミングには絶好の天気の中で講習を終えた。午後3時頃赤岳鉱泉に向って下山を開始する。裏同心ルンゼF1から100mくらい下った地点で、私の後ろについていたアシスタントが悪ふざけで突き飛ばしたように感じた、が次の瞬間大量の雪の上に載ったまま流されている自分がいた。4~5秒程度であったと思うが、頭が雪の中に埋まったままで動きが止まってしまった。意識ははっきりしているのだが、体は全く動かないし、このままでは窒息死してしまうなあと思っていると、いきなり足から雪の上に引きずり出された。クライアントは雪崩に埋まることはなく、アシスタントと私を雪中から引き出してくれたのだった。裏同心ルンゼの左右上部は大きな雪壁帯となっている、雪崩が起こってもなんの不思議もなかったのだ。

谷川岳一の倉沢、なんとか生き延びてはいるが際どいところでセーフになったケースが多い。ガイドになる前のこと、一の倉沢出合の駐車場にツウェルトを張って翌早朝の登攀を期して眠りについた夜半に雪崩は起こった。本谷を飛んできた雪崩にツウェルトごと埋まってしまったのだ。なんとか這い出したがパートナーは登攀具をザックから出していたため全部紛失してしまった。そこから撤退せざるをえなかった。

この2件は登攀中ではなく、予期しなかった雪崩であるが予期する予期しないというよりは、雪崩が起こっても回避できる対処をそれ以後考えておくことにしている。

バリエーションルートを登攀中は、もっと積極的に雪崩の危険を受け止めることにしている。ルート中の雪崩の筋道を予想し縫うように登る。ルート中に回避できる場所を想定しておく。しかし、縫うように登った一の倉滝沢スラブでも事故は起こった。滝沢大滝の真下を左上しているとき大きな雪の塊が落ちていった。「きたぞー!」と声を掛けて身構えた。3~4秒後に雪崩の本体がドドッーと押し寄せると、引き剥がされまいと雪壁に頭から突っ込み通り過ぎるのを待った。ほぼ雪崩の真心にいた私は流されずに済んだが、左隣りにいたエキスパート研修生は本谷まで300mほど飛ばされてしまった。

黒部奥鐘山西壁京都ルートを3月に登った際は、壁の中で3ビバークとなったが、常に上部からの落氷との知恵比べのような登攀となった。毎日午後1時頃になると上部ハング帯に出来た大きなツララが崩壊して行く手を阻む。阻むくらいならまだしも叩き落される危険性を感じていた。これを避ける唯一の方法は、ハングの下でビバークし、日差しが上部岩壁を照らす前にその日の行動を終えることであった。紫岳会ルートでは途中で氷の崩壊が始まってしまい、左にも右にも下にも上にも動くことが出来ずに何時間も同じ場所で立ち尽くさざるをえなかった。夕刻になり落氷が落ち着いてから逃げるように退却したことがある。

  ホワイトアウト、私の経験では2回だけだが不思議な感覚に包まれてしまったので良く覚えている。79年3月、グランドジョラス北壁登攀のためレショ小屋に待機していたが天候が好転せず一旦シャモニまでスキーで降りることにした。メールドグラス氷河に入ってホワイトアウトに捉まってしまった。メールドグラスはバレブランシュのスキールートになっていて、私自身も何度か滑走していたので安易な気持ちでいたのだが、降りしきる雪とホワイトアウトのためにその滑走ルートが見つからない。傾斜があるはずの氷河が、サッカー場に雪が降り積もったかのように真っ平にしか見えない。なんとかかんとか、シャモニまでたどり着いたが30分くらいのコースに3時間も費やしてしまった。

 もう一度は、良く知っているはずの谷川岳肩の小屋付近で起こってしまった。ホワイトアウトのため、天神平に向って降りていたつもりが、万太郎谷側に降りてしまっていたことがある。およそ10分位で気がついて登り返し事なきを得たが、ホワイトアウトの怖さを思い知った。まだ、ガイドになる前のホワイトアウトナビゲーションという言葉も技術も知る前の話である。

 冬季のクライミングでは、雪崩に限らず危険が一杯だ、しかしその危険を敢えて受け入れる勇気と緻密な計算で登攀を成功させることが大切だと思っている。

リスク、障害には、岩場のような目に見える障害と、一様に知覚出来ない、凍傷や雪崩の危険のように目に見えない障害がある。どちらも登山を成し遂げる上では常に考慮しなくてはならないし、パートナーとその認識を共有している必要がある。ガイドはクライアントにどのような危険や障害があるかを説明し、それらを回避する行動について認識を共有していることが大切である。冬山登山では、危険がゼロになることは無いのだから。

以上

森谷重二朗さん逝く

前東京都山岳連盟(略、都岳連)の森谷重二朗さんが10月27日の未明にお亡くなりになった。
10月26日夕刻に日大駿河台病院に廣川健太郎さんと見舞った約6時間後に旅立たれたようだ。ご本人は、「もうちょっと、生きたかったなあ」と話していたようだが、病は容赦しないということか。来年2月には、自らが作った東京YCCが創立50周年を迎えるという。ということは、68歳だった森谷さんは、18歳の時に山岳会を立ち上げたことになる。
通夜は葛飾区の斎場で営まれたが焼香の列は途切れることはなかった。

現在、三つ峠屏風岩にAGSJで設置してある支点のアンカープレートは森谷さんの作によるもであることを知っている人は少ないが、AGSJが森谷さんに依頼して作ったものなのです。

今年になって、今井制夫さんと二人の方がガンによって命をおとされている。